Miracle Waterをつくる。

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カテゴリ:雑司が谷地域情報( 6 )

鬼子母神堂境内

 雑司が谷最大のお祭り、御会式の中心会場ともなる鬼子母神堂境内。しかし普段は近所の人々の生活通路的役割が中心で、週末にぽつぽつ見かける観光客やお宮参りの家族連れが行き交う以外はそんなに人通りはない。e0250097_13292025.jpg

そんな境内の左奥に微妙な昭和臭を漂わせながら立っていたサーカス小屋のような赤いテント。その前にあった看板を見てみると、そこには唐十郎さんが主宰する劇団の公演日程が書かれていた。

赤いテントに唐十郎さんと言えば、1960年代、アングラ演劇界でその名を知られた「紅テント」。そんな書物でしか知らなかった存在がいきなり境内に現れたことに驚きながらも、その古びたテントが案外違和感なく周囲に溶け込んでいることが面白かった。

唐十郎さんやアラーキーこと荒木経惟さんらがアングラ的に活躍していた当時の空気を未だに残す「紅テント」が設置され、月に一度は、自分の手でつくったものを持ち寄って販売する「手創り市」の会場にもなるという鬼子母神堂境内。そこには悪を積み重ねた後に改心し、安産や子育ての神になったという鬼子母神の、人々の自由な振る舞いを許容する「母性」的な何かが反映しているのかもしれない。
(阿部和璧)
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by mwlab | 2011-11-07 17:02 | 雑司が谷地域情報

まちの美味しいパン屋さん 赤丸ベーカリー

 「口に入れるものは最高級のもので作ること」をモットーに、アンパンやカレーパンなど定番商品を中心とした品ぞろえで、まちのパン屋として人気を誇るのが弦巻通り商店街にある赤丸ベーカリー。大正12年、和菓子やお饅頭を売る和菓子店として営業を始めたこのお店が、パン屋に変わったのは昭和25年のこと。当時は砂糖だけでなく、食糧も手に入らない時代で、79歳の今も現役で働くご主人によると、「どんな粉でも持ってきてもらえばパンにしたから、店を開けるとお客が並んでいる」という状態だったという。e0250097_4263066.jpg

食糧事情が良くなるにつれ、商品も最初のコッペパンからアンパン、ジャムパン、クリームパンといった菓子パンや惣菜パンなど豊富な品ぞろえになっていった。しかし、「地域のみなさんに毎日喜んで食べてもらえるものを」という方針は変わらず、お洒落なパン屋というよりも、どこか懐かしい、馴染みのあるパンが並ぶ身近なお店として人々に愛されて続けている。

ご主人によると、最盛期には豊島区だけでも40、50軒はあったというパン屋は、大手メーカー商品の普及や、一人暮らしや、お年寄り世帯の増加で、今では数えるほどにまで激減しているという。そんな中で、こじんまりとした商店街の中にある赤丸ベーカリーが、地域の人々のニーズに合ったパンを作り続けて61年目を迎えていることには、地域と共に歩んでいく者にとっての大切な何かが含まれているように思う。
(阿部和璧)

【関連リンク】
赤丸ベーカリーのホームページ
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by mwlab | 2011-10-23 04:29 | 雑司が谷地域情報

少子高齢化する雑司が谷

 ボランティアガイドの小池陸子さんや、赤丸ベーカリーの赤丸未千江さんら、これまでリサーチした4人の人々の話の中に必ず出てきたのが雑司が谷地区の少子高齢化の問題。昔ながらの入り組んだ路地が残るこの地域は、古い町並みが残ると同時に、そこに暮らす人々には、確実に少子高齢化の波が押し寄せてきている。e0250097_2373637.jpg 

地域の子供たちを見守る主任児童員でもあった小池さんは、3つの小学校が一つの小学校に統廃合された最後の卒業式に参加した時のことを、「卒業式も大変ですよ。10人もいない卒業生では間が持たないから、一人ひとりが作文を読んだりして。もっとひどい時は2、3人だったこともあったから」と急速に進んだ少子化について語った。

赤丸ベーカリーの赤丸未千江さんは、「一人暮らしや高齢の方が多いから、お客さんの単価が以前とはだいぶ変わった。半斤で3枚入りのパンが売れて、家族が6、7人の時のパンの量が売れるというのはほとんどなくなった」と人々の食卓に並ぶパン量の変化から、家族や家庭の形態の変化を読み取った。e0250097_2385016.jpg

東京というこの国の、最も巨大な都市の中心部で、今、田舎の過疎地や地方の繁華街で起きていることと同じ問題が起きている。3.11以降、社会の衰退や資本主義の問題点が取り沙汰されているこの時期、だからこそ地域に向き合い、世代を超えた新たな価値を生み出していくことが必要なのだと思う。
(阿部和璧)
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by mwlab | 2011-10-23 02:41 | 雑司が谷地域情報

鬼子母神御会式

10/16日から18日の3日間雑司が谷では、鬼子母神御会式(おえしき)というお祭りが行われています。
e0250097_1012488.jpg16日には、それぞれの講が町内をねり歩き、鬼子母神堂へ参拝します。
17日には、不忍通りから目白通りを、18日は池袋駅から明治通りを通るコースを行列していきます。


e0250097_1092884.jpgこれは、16日の風景です。地域の人々が、太鼓をもって行列しています。


e0250097_10151022.jpg参道にも屋台がならび、その中を行列が進んでいきます。


e0250097_10165879.jpgこの白くてきれいな万灯は町内の人たちが協力して制作しているそうです。
この白い花。触ると願いがかなうんだよ、万灯を担いでいた方が教えてくれました。

この日は、鬼子母神堂もたくさんの地元の人々が訪れ活気にあふれていました。町中に太鼓と笛の音が鳴り響き、いつもと違った表情の町の姿をみることができました。

雑司ヶ谷の住民がみんなで御会式を楽しんでいるようでした。みんなで作り上げるお祭りなのだと実感しました。

Miracle WaterのFacebookページに動画を載せました。こちらもご覧下さい。
http://www.facebook.com/pages/Miracle-Water/265986836771004?sk=wall

(馬渕かなみ)
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by mwlab | 2011-10-22 10:24 | 雑司が谷地域情報

地域ねこ、弦巻牛之介くん

 東京メトロ副都心線、雑司が谷駅東の入り組んだ路地の中にある弦巻通りは、池袋の由来ともなった丸池から、神田川に流れ込んでいた弦巻川の上にできた通り。昭和10年、関東大震災後、急速な都市化により汚れた川を暗渠化した上に作られた通りには、赤丸ベーカリーなど個人経営の商店が軒を連ね、「雑司が谷弦巻通り商店街」を形成している。e0250097_10473752.jpg

その商店街の人々が「牛くん」というニックネームで呼ぶ地域ねこ、弦巻牛之助くんは、現在5歳ぐらいの白黒のまだらねこ。商店軒下の特設段ボールハウスに住む「牛くん」は、慣れた人とは一緒に散歩するほどの人懐っこい性格だという。一部の人からは商店会長にも推された彼には、和歌山のスーパー駅長「たま」ほどの知名度はないが、日中の大半を防水、防寒対策の施された段ボールハウスの中でのんびり暮らしている。

「牛くん」の名づけ親で、半年に一度、彼の住まいを作ってあげている赤丸未千江さんによると、「牛くんを囲んで5人ぐらいが餌をあげるだけじゃなくて、病院に連れて行ったり、みんなで可愛がろうという感じになっている。震災の義捐金のために作った牛くんのバッチはいろんな人に買ってもらった」ということで、地域ねことして立派な役目を果たしている。
(阿部和璧)
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by mwlab | 2011-10-21 10:49 | 雑司が谷地域情報

雑司が谷の由来

 Miracle Water(ミラクルウォーター)、初のリサーチとなった雑司が谷案内処のボランティアガイド・小池陸子さんの話によると幾つかの説があり、応仁の乱の頃、京都の宮中で、雑司(雑用をつかさどる)の官職にあった幾つかの一家が、乱で荒廃した京都から東下りして移り住んだ場所という説。e0250097_16563318.jpg

さらには法明寺、または小日向金剛寺の雑司料(税や物資を収める支配地)だったという説などがあるそうです。(「新編武蔵風土記」)江戸時代中期までは「雑士」、「蔵主」、「僧司」、「曹子」など、さまざまな漢字が当てられていたそうですが、八代将軍吉宗の時、吉宗が紛らわしいので「雑司ヶ谷」に統一するよう命じた、と「雑司ヶ谷いろはかるた」に書かれているそうです。

私たちが活動拠点とする、地下鉄副都心線雑司が谷駅の2番出口すぐにあるとしまアートステーションZの最後に付く「Z」は、ZOUSIGAYAというこのまちの名前の頭文字でもあります。Miracle Waterのリサーチや活動を通して、一部のアート好きの人々だけに届くものではなく、雑司が谷という地域を巻き込んだ、この地域の人々と一緒にワクワクできる活動にしていきたいと思います。
(阿部和璧)

【関連リンク】
雑司が谷案内処ホームページ
ウィキペディア 雑司が谷
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by mwlab | 2011-10-19 15:45 | 雑司が谷地域情報
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面白く大切な活動へ興味と関心を注ぐ人の存在を水にたとえ、地域活動での水のありさまを深める為のプラットフォームです。 雑司が谷にはたくさんのみみずくがいます。み・みず・く。


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